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みなさんこんにちは!大台町キャスターマミです!

先日、大台町に残る在来種のお茶「自然茶」で釜炒り茶に初挑戦!

で勉強したことを生かし、

2017年5月20日~21日に三重県大台町で開催された

「奥伊勢手作り釜炒り茶教室」に参加してきました!

今回は、このイベントのプログラム「山茶摘み」の様子をお届けします!

山茶はどんな場所に?車で登山口へ

三重県多気郡大台町栗谷(くりだに)、「尾放(おばなし)峠」登山道入り口に到着。

到着前の道中の車内では、参加者同士で和気あいあいと会話を楽しみながら、

「尾放峠」の名前の由来って何だろうね?と予想し合う声も。

尾放峠入り口.jpg

山茶を求めて山へ登る道を先導してくださるのは、大台町ふるさと案内人のお2人。

案内人の筒井さんが、「尾放峠」の名前の由来を教えてくださいました。

尾放峠の歴史

1576年(天正4年)11月25日、第8代伊勢国司・北畠具教(とものり)は大台町上三瀬の三瀬館で、元北畠家臣の刺客により命を断たれました。

殺害を命じたのは、織田信長の息子である信雄でした。

現在胴塚は大台町上三瀬の三瀬館跡にありますが、首塚は奈良との県境、松阪市飯高町野々口に静かに眠っています。

具教の首はなぜ山深いその場所に葬られたのでしょうか。

切り落とされた具教の首は、信雄がいる田丸城(三重県度会郡玉城町)へ届けるよう命じられました。

この時、具教殺害を聞き、北畠方の家臣が駆け付け首を奪い返し、北畠氏の本拠地である多気(たげ)御所(三重県津市美杉町)へと向かったそうです。

しかし、織田方の追手が迫ってきました。

家臣は栗谷から野々口を結ぶ道のりを、片手には具教の首、もう片方の手には手綱を握り締め、必死に多気に向かって馬を走らせたそうです。

馬で谷を下り、急な坂を登り、しまいには馬の尾をつかんで進んだといいます。

峠の頂上に来てやっと尾を放したことから、この峠のことを「尾放峠」と呼ぶようになったそうです。

約40分の登山から始まる山茶への道

尾放峠の歴史を聞き、参加者は腰かごを付けて、いざ山茶摘みに出発!

急な登り阪に息を切らせながら

山道の沢を一列.jpg

多くの落ち葉で滑りやすくなっている山道や

落ち葉の多い山道.jpg

横幅の狭い道を注意深く進み、

狭くなっている山道.jpg

(途中くじけそうになりながらも)歩くこと約40分。

ふと気が付くと杉林の中に背の低い木々が現れました。

山茶出現.jpg

これが山茶の木です!

山茶の木アップ.jpg

見渡すと、杉と杉の間を縫うように一面に広がっていました。

いよいよ茶摘みの開始

ここで、大台町ふるさと案内人の会の筒井さんから、お茶の摘み方を教わりました。

山茶摘み方教える.jpg

「1芯2葉(いっしんによう)」という摘み方です。

山茶の摘み方アップ.jpg

山茶を目にすると登山の苦労を忘れたかのように参加者のみなさんの目が輝きました。

山を下ってから、お茶作りをしなくてはいけません。

茶摘みに用意された時間は30分ほどです。

限られた時間で出来るだけ多くの茶葉を摘もうと、それぞれに茶摘みを開始。

山茶摘み2人.jpg

急な斜面にも山茶は群生しています。

山の斜面で茶摘み.jpg

集中して茶葉を摘む。

時折届く鳥の声、どこからか山の花の香りに包まれ、無心になれる時間です。

山茶摘み1人.jpg

夢中になっていると、あっという間にタイムリミットになりました。

山を登るのは大変でしたが、摘んだ山茶でどんなお茶ができるのかワクワクします。

来た山道を引き返し、この後は摘んだ山茶で釜炒り茶を作ります。

山の空気で心も体もリフレッシュ!

何百年とこの地に息づく山茶を目にした感動、その葉を感謝の心でいただいた山茶摘み。

この後の作業は次回の記事をお楽しみに♪